長野県芸術監督団の串田和美監督が演出する『そよ風と魔女たちとマクベスと』。主人公マクベスを演じる近藤隼さんにインタビューしました。近藤さんは松本市を拠点とする、串田監督が率いる劇団「TCアルプ」に所属。2019年には信濃追分・文化磁場「油や」での『月夜のファウスト』上演に合わせたアーティスト・イン・レジデンス企画に参加しました。初めて出演する長野県芸術監督団事業の作品に関して、串田演出についてなどお話を伺いました。
――『マクベス』のタイトルロールを演じる『そよ風と魔女たちとマクベスと』の開幕が近づいています。
近藤 2年くらい前からかな、実は串田さんから「マクベスの一人芝居なんかやったらいいんじゃない」と言っていただいていたんです。
――ではマクベスは以前から意識していた役というわけですね!
近藤 いえいえ。さすがにシェイクスピアの四大悲劇の一つですから。それに手を出す勇気はなかったんですよ、しかも一人芝居としては。率直に言えば『マクベス』に何度も取り組んでいらっしゃる、串田さんのような大先輩に指名していただいたのはすごくうれしかったです。なかなか自分では思いつかない。そもそもタイトルロール(主役)なんて人生で初めてですし、マクダフ役とかなら「俺ならこう演じてやる」とか考えられますけど、流石にマクベスは想像できませんでした。稽古ではいい意味でプレッシャーを感じています(笑)。
――どんな作品になりそうか教えていただけますか。
近藤 タイトルが、そよ風と、魔女たちと、マクベスですから、普通のマクベスではありません。シーンがカットされている部分もありますが、物語はほぼ原作通りです。ただマクベスに予言をもたらす魔女の捉え方がいろいろなんです。単純に台本をいただいて最初に読んだとき、僕はコロナとそれに端を発する人間の行動のことを考えました。目に見えない風にもいろんな意味があって、それが魔女が演出する悪さやイタズラとつながると、コロナがイメージされるんです。それは、人間が反応すること、あたふたすることなど、ただのロジックの問題ですけどね。でも串田さんがお考えになることなので、そんな単純で説明的な作品になるわけはありません。目に見えないもの、認識、記憶、人間には感知できないもの、他人がいて自分が存在するとはどういうことなのか、そもそも存在するとはどういうことなのかとか、そうした要素が満載です。また今回、新しい視点だと思ったのは、時や時間に関するセリフが散りばめられていること。いわば存在と認識と記憶と時間の物語だと僕は捉えています。
――目には見えないものがマクベスを動かしていく、そよ風や魔女たちはその象徴という感じなのですね。
近藤 物語で起こることをそよ風のいたずらみたいな視点でみると、普段、人間は目の前の実態ある物やお金など、自分たちが狂わないためにそうしたものに頼って折り合いをつけて生きているけど、実はこの世は自分たちの理解できないものばかりで、その中で動いていると捉えられると思うんです。たとえば、マクベスは魔女たちに「グラームスの領主で、コーダーの領主になって、やがて王様になる」という予言をされます。王様になるというのは未来のことですよね。でも自分の中で考えたときに、まだ王様は殺していないけれど欲望や妄想は実在している。これはあるのか、ないのか。グラームスの領主になったのは過去、コーダーの領主は現在、王様になるのは未来。串田さんの視点で読むと、これがすごく面白いんですよ。そして権力の階段を登りつめたマクベスは自分が生き残るために、魔女に懇願して再び「森が動かない限り大丈夫だよ」「女の腹から生まれていないもの以外には倒されないよ」という予言をもらいます。その予言に騙されたのか信じ過ぎたのか、魔女の予言をどう感じるか感じないか、そういう物語だと思うんです。それがまたお客様にどう伝わるかどうか、何を感じていただけるかが楽しみですね。
――近藤さんは長野県芸術監督団事業での上演作品へは初参加です。これまで外から見ていらっしゃって、どんな感想を持っていましたか。
近藤 県の事業で串田さんがやられていることには、いい意味での嫉妬はありました。串田さんの一人芝居『或いは、テネシーワルツ』を見たときも、串田さんご自身なのか別の誰かを演じているのか、語っているのか演じているのか、非常に表現の自由さを突き詰めていると思ったんです。僕はそういう演技は苦手で、一つの役を貫く方が集中しやすいんですよ。実はそれが大学を卒業して串田さんと一緒にやっていこうと思った理由の一つでもあって。大学の先生は老舗の文学座を勧めてくれたんですけど、その道では自分の視野が狭くなる、将来が見えてしまうと思った時に、串田さんという僕には理解できない表現をする人と一緒にやれば、ちょっとでも視野が広くなるんじゃないかなと思ったんです。文学座に入るよりは幅が広がっているとは思いますけど、とは言え得意不得意はありますから、共演する武居卓を見ていると自由でいいなあって思います(笑)。
――近藤さんは論理的な積み重ねを重視する役づくりをする役者さんなのですね。
近藤 それはもちろん串田さんに見抜かれていて、時々「つまんねえぞ、理屈」って言われます。でも理屈がないと役として立てないし、その辺はバランスだと思うんです。串田さんだって哲学も理屈もしっかりあって、その上で自由さや遊びを感じさせる部分をやっていらっしゃる。事業団の企画では、よりそうした表現を突き詰めている気がしました。稽古を見学したり、本番を見たりしても、その一部分しか触れられないのは悔しかったですね。自由にやっている串田さんたちに対して、だったらそれが苦手な僕と草光純太さんは普段TCアルプではやらないタイプの芝居をやろうと、『A WALK IN THE WOODS』にチャレンジしたんです。それも事業団の企画の一片から始まりました。軽井沢の信濃追分・文化磁場「油や」さんにアーティスト・イン・レジデンスに誘っていただいたのがきっかけで、今年は「油や」さんと上田市の小劇場「犀の角」さんで上演させていただきました。男優二人だけの結構いい芝居ですよ、ベンチだけあればできますから、いつでも気軽に呼んでください!
――では最後に、『そよ風と魔女たちとマクベスと』のPRをお願いします。
近藤 もうタイトルが素敵じゃないですか。シェイクスピアになじみのない方、堅苦しいと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、遊び心のある、でも深いところを突き刺す部分もあるお芝居になりそうです。そよ風に乗って劇場にいらしてください。僕自身、マクベスに向き合い、最後まで必死にもがきまくってやろうと思います。