【ついに開幕!】『そよ風と魔女たちとマクベスと』初日観劇レポート


2020/10/10 (土) 更新

【ついに開幕!】『そよ風と魔女たちとマクベスと』初日観劇レポート

10月8日(木)にまつもと市民芸術館で初日を迎えた『そよ風と魔女たちとマクベスと』。本公演の初日レポートを、長野県在住のライター・今井浩一さんにお書きいただきました。『そよ風と魔女たちとマクベスと』をすでにご覧になられた方も、これからご覧になる方もぜひご一読ください。

「人間は、なぜ物語を必要とするのか? 私たちは日々受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える」
『博士の愛した数式』などの小説で知られる小川洋子さんの著書『物語の役割』のPR文章にこう書かれています。
「人間が生きていくには物語が必要」とはよく言われることです。ナラティブセラピーという心理療法があります。その解釈はこうです。人はそれぞれ自分自身の物語を持っていて、それに基づいて生き方や対人関係を構築しています。つまり、その物語を書き換えれば、これまでと違った人生を生きていくことが可能……。

串田和美監督の舞台『そよ風と魔女たちとマクベス』を観ながら、そんなことを思い出しました。マクベスも何かの物語を欲したのかもしれないと。新たな人生を生きるために物語を書き換えてみよう、未来を手に入れるための悪事に踏み出そうと思ったのかもしれません。そんなマクベスを突き動かしたのは、そよ風のささやき、魔女の予言でした。

『マクベス』は16世紀の劇作家シェイクスピアが手がけた4大悲劇の一つ。説明する必要もないかもしれません。
戦いに勝利して同志バンクォーとともに凱旋するマクベスは、その途中で魔女に出会い、「グラームスの領主様、万歳! コーダーの領主様、万歳! 未来の王様、万歳!」と予言を受けます。バンクォーもまた「王にはならないが王を生み出すお方」という予言が渡されます。剣に優れ、王に忠誠を誓っていたマクベスは逡巡しつつも、妻に背中を押され、ついに悪事に手を染めていきます。

串田演出では物語の枠組みはそのままに、シーンを入れ替えたり、同時進行させたり、生演奏やその後の展開を予感させる串田監督が構想したシーンを挿入したりしながら展開していきます。特筆すべきは、マクベス(近藤隼)以外の役はすべて魔女という設定。
まっすぐで不器用な性格のマクベスを、男優も含めてワンピース姿で演じられた魔女たちがもてあそぶように、からかうように、あざわらうように、さあ行動せよと言うがごとく妖しい笑顔で促していきます。ある時はムーミンに登場するニョロニョロのようにゆらゆらと風に揺れながら、ある時はベトベトと蒸し暑い風がまとわりつくように、ある時はなんでもお見通しとばかりに見下ろすように。
魔女たちの中には、マクベスを愛しながらも弱気をののしるマクベス夫人(毛利悟巳)、マクベスが最初に手をかけてしまうダンカン王(串田和美)、「王を生み出す」と予言されたバンクォー(細川貴司)もいます。魔女たちはマクベスの周囲の人物に化けては、そよ風のように優しく、嵐のように激しく彼の心に入り込んでいきます。行きつ戻りつ揺れていたマクベスも、ついに権力への欲望をたたえた悪魔の表情をのぞかせ剣を手に取ります。

シェイクスピアは全世界でさまざまな解釈や設定で上演されてきました。『マクベス』もさまざまな演出家が手がけたものを観てきましたが、『そよ風と魔女たちとマクベスと』のように、マクベス以外は全員が魔女というのは、初めて観たアイデアです。
舞台上にはカーテンを垂らした引き枠が5台あって、風が吹くように、マクベスだけでなく観客をも翻弄するように動き、時間や空間をスピーディに変えていきます。時には影絵のスクリーンとなって、魔女たちの得体の知れなさを伝え、殺人シーンを浮かび上がらせます。引き枠の隙間をするりと行き来し、静かに消えていく魔女たちもまた風だったのかもしれません。そんなシンプルな表現が、串田監督が書き足した部分も含めてセリフの美しさ、人間の業を際立たせていました。

今、この文章を描きながら思い浮かんだことがあります。この『そよ風と魔女たちとマクベスと』で描かれている物語は、ある一人の男の脳内で展開された妄想かもしれないこと。春から続いたコロナ禍で私たちは、自分自身に向き合う時間を多く持ちました。その中で、不安と不安を打ち消す叱咤を繰り返した方も多いのでしょうか。つまり、マクベスはそんな私たちの姿そのものかもしれない、と私は思ったのです。とはいえ、いくら深く考えても魔が差すという言葉があるように、人間には突然自身さえも驚いてしまうような行動をすることがあります。私たちは運命に身を任せてはいますが、そうした説明のつかない行動は、目に見えない魔女のような存在にそそのかされているのかもしれません。

『そよ風と魔女たちとマクベスと』の開幕直前に行ったインタビューの中で、串田監督は次のように語っています。
「風というのはいろんな使われ方をされるじゃない。運動が起きる、うわさが広がる、革命の風みたいな言い方もある。吹いた風がやがて嵐に発展していくなんて場合もあるよね」
新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が発令された4月から、この10月で6カ月が経ちました。初日公演をご覧になった方の中には、この『そよ風と魔女たちとマクベスと』が久しぶりの観劇という方もいらっしゃったのかもしれません。6カ月という時間の長さに比すれば、『そよ風と魔女たちとマクベスと』の約100分という上演時間は微々たるものです。その時間も、幕が降りれば消えゆく演劇もまさに「そよ風」に過ぎません。それでもその「そよ風」が、初日公演の最後にはトリプルコールという拍手の「嵐」に変わったのをみると、この6カ月の間、人びとがどれだけ強く生で見る物語を欲していたのかをうかがい知ることができたと思います。

串田監督はいつもこう言います。「どんな感想を持つかは観た方の自由」。果たして皆さんは『そよ風と魔女たちとマクベスと』をどんなふうに受け止められたでしょうか。

 

(写真撮影:田中慶)